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2010年11月10日
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カテゴリ:政治問題
 弁護士の今井敬彌(いまいけいや)氏は、検察官による証拠の隠蔽や改ざんは今に始まった話ではないとして、戦後間もない頃に起きた松川事件を引き合いに、次のように述べている;


 大阪地検特捜部の元検事が証拠を改ざんしたとして起訴され、その改ざんを隠蔽(いんペい)した容疑で上司の前特捜部長らが逮捕された。前代未聞の不祥事と騒がれているが、実は、私が差し戻し番の弁護団の一員としてかかわった「松川事件」では、検察官による証拠の隠蔽が執拗(しつよう)に行われた。検察官が自分たちに都合の悪い事実や証拠を隠すことは昨日今日に始まったことではない。

 松川事件は1949年8月17日、福島市の東北線松川駅付近で、列車が転覆して乗務員3人が死亡した事件で、国鉄労組や東芝労組の組合員ら20人が起訴された。

 検察官が隠蔽した証拠は第一に、レールとレールをつなぐ継ぎ目板を外した実行犯として逮捕され、虚偽自白した被告の「継ぎ目板を1カ所外した」という供述と矛盾する、もう1カ所の継ぎ目板だった。事件現場ではレールがはね飛ばされており、そのためには、2カ所で継ぎ目板を外さなければならない。ところが、検察側は虚偽自白の供述に合わせて1カ所分の継ぎ目板しか証拠として法廷に出していなかったが、二審になって隠していたもう1カ所の継ぎ目板とボルトを出してきた。

 第二は、8月13日に行われた連絡謀議に参加したとして一審で死刑を求刑され、懲役15年の有罪判決を言い渡されたある被告が、その日時に郡山警察署に勾留(こうりゅう)されていた知人の面会に行っていたというアリバイの根拠となる同署の面会記録簿だ。これも一審では隠し通し、二審でようやく出してきて、一部無罪判決の決め手となった。

 第三は、8月15日の連絡謀議に参加したとして一、二番とも死刑判決を受けた被告がその日時に労使交渉に出席していたことを裏付けるメモ(「諏訪メモ」)だ。アリバイを証明する有力な証拠にもかかわらず、検察側は上告審まで隠し、弁護側が「労使交渉の経過を記録した会社側のメモがあるはずだ」と再三主張し、最高裁がメモを出すように勧告したところ、しぶしぶ出してきた。その結果、最高裁は二審判決を破棄、差し戻す判決を出し、被告全員の無罪判決につながった。

 松川事件のような社会的関心の高い重大な事件で、検察官個人の判断で重要な証拠を隠匿することは考えられず、「検察同一体の原則」から考えても検察の組織ぐるみの隠蔽だったと思われる。現に諏訪メモは異動する副検事に転勤先に持たせて隠匿した。しかも、無罪判決確定後も、検察は冤罪を生んだ捜査の問題点について全く検証や反省をしなかった。そのため、隠蔽体質が温存され、今回の証拠改ざん、犯人隠避事件を生んだのではないか。

 今回の事件を契機に、刑事訴訟法を改正して検察官に手持ちの証拠すべての開示を義務づけ、それに違反して、証拠を隠した場合、厳罰を科する必要があると思う。


2010年10月16日 朝日新聞朝刊 12版 17ページ「私の視点-松川事件から続く『隠蔽』」から引用

 松川事件は私が生まれた年に起きた事件で、全員無罪判決が出たとき私は確か中学生になっていた。この事件は、労働組合運動を弾圧するために、警察とGHQが仕組んだ悪質な謀略事件で、何十年かたって時効になったとき、実行犯の人物が「おれがやった」と名乗り出て国会でも取り上げられたが、時の自民党政府は対米関係を配慮してか、本人の記憶があやふやな点を針小棒大に指摘して、真犯人とは言い難いなどと言いふらして、うやむやにしてしまった。しかし、この裁判で検察は証拠を隠してまで、警察とGHQをかばって無実の労働者を死刑にしようとしたとんでもない事件であることは、後世に記録を残すところとなったのである。このときに、検察の違法性を徹底追及していれば、村木氏を誤認逮捕することにはならなかったはずだ。







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最終更新日  2010年11月10日 18時57分05秒
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